現代もの、異能力バトルものなどについて思うこと

 現代もの、異能力バトルものなどについて思うこと。


 現代での異能力バトルをテーマにしたTRPGの場合、武器などのデータを煩雑に作ることは望ましくないように思う。
 ああいうゲームは、多くの場合、お金や日常用具等を抽象的に管理します。
 そこで、武器などのデータだけピックアップして具体化するのは、違和感を覚えるのです。
 特に能力値を「愛」とかのレベルまで抽象化しているTRPGで武器データがあるのは、そこだけ即物的で浮いた印象。
 あくまで僕はそう感じる、っていう話だけどね。


 ただし、世界観に基づいた理由などがあったりすれば、別だと思います。
 たとえば、PC全員が太古のオーパーツを所持している設定のシステムなら、オーパーツのデータがあることはおかしくないでしょう。
 つまり、TRPGの伝統として武器データがあるわけではなく、その作品としてちゃんと意味付けされているということだと思います。


 けれど、現代ものとかで武器データがあると、少し困ったことが起こるんですよね。
 普通のTRPGの感覚で強い武器にとっかえひっかえしていくと、現代異能力バトルっぽくないんです。
 ああいう系の主人公たちって、大概、武器をとりかえたりしないから。
 スキルとか、要は戦略的な意味があることなら何でもなんだけれど、あまりそこに重点を置くと、メタ的な視点ばかり肥大化してしまって、ドラマティックさを再現しようとするゲームコンセプトを阻害してしまうんだな。
 だから、こういう小説等にリスペクトしたストーリー性に重きを置いたシステムの場合、システム自体のスピーディさがすごく重要になってくる気がします。
 もちろん、できればシステムとしての濃厚さを保ったまま。


 そういう意味だと、実はしっくりくる現代異能力バトルものって、あまり思いつかないです。
 ダブルクロスも、システム部分が肥大していて、慣れない人はデータに埋もれてしまうと思う。
 ナイトウィザードは、現代異能力バトルのテーマに無理矢理ダンジョン要素をくっつけて、わけがわからなくなっている印象。ベースにS=Fがあるから、仕方ないけどね!
 FEARのTRPGって好きだけど、コンセプトが中途半端に思えて、大好きまではいかない。
 どうしても売り方があざとく見えてしまって、複雑な気持ちになる。
 ストーリー志向のTRPG自体は好き。


 FEARの中で「おっ」て思ったのは、異能使いでした。
 あと、あまりプレイしていないから、なんとも言えないんだけれど、ゼノスケープもコンセプトに芯が通っている気がしたかな。
 でも、最近のTRPGは追いきれていないから、多分、他にもいい作品はいっぱいあるんだろうなと思うです。